投資をする目的は何?

2023年1月23日

私は、今まで投資をする多くの人と出会ってきました。

そういう人に「あなたは何のために投資をしてお金を稼ぐのですか?」と尋ねます。

大抵の人は「美味しいものを食べたり、高級外車に乗ったり、海外旅行をするため」などと答えます。

最近は、コロナ禍で離職したり、リモートワークをしたりすることで、自分の時間が増えて投資をする人々が増えてきています。

投資のやり方もいろいろあって、同じ外貨を取り扱うのでもFXよりもリスクの低いCFD、長期的な利回りを狙って投資をする積み立てNISAなどの新しいスタイルもありますので、素人でも取り組みやすくなってきています。

自分の貯蓄を生かして、もう少し貯蓄を増やし、より優雅な生活をしたいとか老後の資金に回すなどの個人的な目的に利用することは大いに結構なことです。

投資をする人が多くなったほうが、わが国の経済の発展につながるからです。

 

投資本来の目的とは

そもそも投資の歴史を紐解けば、1553年にイギリスで設立された合資会社「ロシア会社」が小口の株式を発行したのが始まりです。

この資金の集め方がオランダの東インド会社に受け継がれ、これがやがてヨーロッパ、アメリカ、全世界へと広まっていきました。

つまり、投資は個人のためではなく組織を大きくして利益をあげるために始められました

現在も企業では、設備投資や人的投資が行われ利益をあげることが追及されています。

利益追求が利益分配につながっているかといえば、大企業の場合は労働組合もあり福利厚生が整備されていますので、一定程度の利益分配は行われています。

しかし、中小企業や個人経営では十分な設備投資や人的投資が行われず利益分配が行われていないことが多いです。

特に、個人経営では、仮に利益があがっていたとしても、ワンマン経営で従業員への利益分配が適切に行われていないこともよくあります。

適切に利益分配が行わない投資というのは個人の私腹を満たすだけに消費され、やがて消滅する運命にあります。

投資本来の目的は投資をすることで利益を増やし、その利益を分配して社会全体が発展していくことです。

 

マネーゲームとしての投資

投資を専門に行っている銀行や証券会社などは、政府が指定した証券取引所で株や外貨の取引をして利益をあげています。

しかし、個人で株や外貨の取引をする場合は、直接、証券取引所で取引するのではなく、証券会社やブローカーを仲介することになるため手数料を差し引かれます。

個人の投資でも数億円単位で株や外貨の売買をするような機関投資家と呼ばれる人々がいます。

実は、この機関投資家が相場の変動をもたらす大きな原因になっているのです。

相場が数分単位で急激に変動するのは、機関投資家たちが取引しているためで、投機的取引と言われます。

利益をあげるためには「安く買って高く売る」ことをすればよいので、安いうちに大量に買って、値上がりしたら高く売ればよいのです。

1か月単位で見ればわずかな変動であっても数億円かけて株や外貨の売買をすれば数千万円~数十億円の利益をあげることができます。

機関投資家たちはそうやって膨らました資金を使って、複利的に利益を増大させていくことができます。

 

しかし、われわれ個人投家にとって1回の投資で数億円使うことはできません。

リスクを避けるために相場分析のアナリストの指導を受けて投資をしている人もいます。

最近は、SNS等を通じて投資詐欺が増えていますので、特に海外の証券会社やブローカー、アナリストを通じて投資をするのは注意してください。

入金して額面上はどんどん残高が増えても、出金する際に多額の手数料や税金を請求されることがあります。

日本に現住所を置いている人が投資をして海外の証券会社等に税金を支払う必要はありません。

ですから、海外の証券会社等に事前に証券会社に問い合わせをしたり口コミ等で確認してから入金するようにしましょう。

⇒海外取引所の評価ランク

以上、個人で投資をする場合は、事前に安全性を確認する必要があります。

 

また、最低限の基礎知識も必要です。これについてはこのブログで子細にわたり解説するつもりはありませんので、他のブログや書籍などで学習してください。

私の場合も2年ほどは、メンターについたり動画や書籍で学習しましたが、ほとんどは独学でやっています。

個人で投資をする場合は、よりリスクが低い方法をとるか、高い目標をおかずにお小遣い稼ぎやより良い生活を送りたいなどの目的でもよいでしょう。

しかしながら、私がこのブログで記事を書いている理由は、そうした個人的な目的ではなく社会変革のための投資という大きな目標のためです。

 

マズローの五段階欲求説

ここで、アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908~1970)が提唱した「マズローの欲求五段階説」をご存知の方は少ないと思いますので、ご紹介いたします。

「マズローの欲求五段階説」は通称「自己実現理論」などとも呼ばれ、成功哲学や啓蒙思想などで使われる理論です。

マズローの理論によれば、人間の欲求には「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階があると言われます。

この理論の根底にあるものは、人間は一人で生きるのではなく、社会的な存在として認められ、社会に貢献していくことで幸福をつかむことができるという思想です。

それでは、第一の段階からお話していきましょう。

 

第一段階「生理欲求」

これは人間は生物として生きていくための必要最低限の欲求であり、生理的欲求のことです。

生きていくためには、最低限の食料と水、寒さを防ぐ衣服が必要です。

人間の三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)も生理欲求に含まれます。

人間が一人で生きていくためにも必要な欲求ですが、人間は一人では生きていけません。

しかし、人間が、社会的活動、例えば、学校に通う、会社に勤めるなどをする場合にも、まずは生理的な欲求が満たされなければ上手く活動することができませんね。

 

第二段階「安全欲求」

生理的欲求の次に問題になるのは「安全欲求」です。

安全の欲求とは、身体的に安全で、かつ経済的にも安定した環境で暮らしたいという欲求を指します。

例えば、災害で住む家がなくなったり、生活する資金が底をついたりしたら、生きていくための安全性は失われますので、何とか生活できる環境に戻りたいと思う欲求です。

これは、次の社会的欲求につながりますが、社会に属していれば、この欲求はある程度保障されていきます。

 

第三階「社会的欲求」

社会的欲求とは、家族や組織など、何らかの社会集団に所属して安心感を得たいという欲求を指します。所属と愛の欲求と呼ばれることもあります。

人間は生理的欲求・安全の欲求が満たされていたとしても、誰も話し相手がいなくて自分を受け入れてくれる人がいないと孤独を感じ寂しい思いをします。そのため、どこかに属したいという社会的欲求が働きます。

そこで人々と悲しみや楽しみなどの感情を共有したり、お互いに困ったときは助け合ったりして協力しあいながら生活する環境を望みます。

 

第四段階「承認欲求」

次は、所属する集団の中で評価されたい、認められたいという欲求です。

これにはいろいろレベルがあると思います。

マズローの分類では、承認欲求は、さらに「低位の承認欲求」と「高位の承認欲求」に分かれます。

「低位の承認欲求」とは、他人に注目されたり、賞賛されたりすることを求める欲求です。

私は長年教育の現場におりますが、生徒たちを見ていて「認められたい」のレベルは千差万別です。

人を笑わせるのが好きな子は、冗談を認められただけで嬉しいし、勉強ができることは学年で順位が上がったことを喜びます。

最近ではSNSなどで「いいね」をもらうと嬉しく感じる人も多いようですね。

 

「高位の承認欲求」とは、他人にどう見られるかではなく、自分が自分を承認できるかどうかという欲求です。

「自分」という言葉は「自ら分ける」と書きます。人間として成長していく過程で自分の個性や役割というのが分かってきて自分らしく生きるという意味だと思います。

私の両親は平凡でも人様に迷惑をかけない子に育ってほしいと願っていたようですが、私はこの年になっても「平凡」という意味がよく分からないし、「平凡」でありたいと願ったこともありません。

別に、私が「非凡」であるというわけではありません。自分らしく生きるということは、他人と比較して同じだったり、飛び抜けているとかではなく、自分のやりたいことを他人に迷惑をかけずに全うすることです。

むしろ、最近は、他人に迷惑をかけない生き方よりも他人のために生きるほうが自分らしく生きることではないかと思うようになりました。

 

第五段階「自己実現欲求」

最後に自己実現の欲求とは、自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きていきたいという欲求です。

自己実現には、生涯の目標なり夢というものがかかわってきます。

世の中で成功している人の中には、晩年になって人生の夢を語ることは愚かなことだと言っている人がいます。

それは才能や体力がまだ衰えないうちに最大限には発揮すべきたという点はもっともな考えだと思います。

 

確かに若いうちに目標を達成することも人生の喜びにつながりますが、一流大学に入学したり、会社の社長になったり、弁護士や医師になることが人生の目標ではないです。

社長をやめて漁師になる人もいるし、医師の資格をとって小説家になる人もいます。

大事なことは、その人が「何になったかではなく何をやりたかったのか」です。

私はやりたいことを思う存分やれたことがその人の自己実現だと思います。

 

「大器晩成」という故事成語があるように、人間としての器が大きい人は、晩年になって成功することがあります。

昔から「若いうちの苦労は買ってでもしたほうがよい」と言われているように、若いうちにいろんな失敗や挫折をした人間のほうが、他人の痛みを感じ取れる人間としての厚みが出てきます。

そういう人間が晩年になって成功して指導的立場にたったほうが、人から信頼されると思います。

最近は、人生90年とも100年とも言われるくらい寿命が長くなっているのですから、ひと昔みたいに60歳の還暦を迎えたら定年退職というのは早すぎます。

少子高齢化の時代になって、高齢者になってもまだ働ける人が多いのですから、それまでに培った経験や技術をつかって社会に貢献する仕事をするべきです。

 

人間は社会の中で生活していますから、人それぞれに社会的な役割をもっています。

母親であれば子育てという役割をもっていると思います。私の母親は貧しいながらも洋裁をして生計を助け、息子二人を大学まで出して立派な仕事をしたと思います。

父親であれば、家庭を守り一家の生計を支える責任があります。私の父親は病気がちでしたけど、それでも一生懸命に仕事をして生計を支えていました。

難しく考える必要はありません。この世の人、一人ひとりがそれぞれの役割をもっていますから、その役割をまっとうするために努力することが自己実現だと思います。

私の両親を見るかぎり、経済的には恵まれてはいませんでしたが、息子たち大学まで出すという目標のために努力していたことに幸福を感じていたのではないかと思います。

 

以上が、アブラハム・マズローの五段階欲求説の解説です。

まとめると、下記ピラミッド画像のようになります。

 

上記ピラミッド画像をご覧になって気づかれたと思いますが、実は五段階の自己実現欲求のさらに上の段階には、「自己超越欲求」というのがあります。

自己のための実現ではなく、世の人々のため社会のために自分が成しえることを実現することです。

これはもはや自己実現とかいう自我のレベルを超越した無我の境地です。釈迦やキリストのような偉大な聖人はもちろん、この世で成功哲学や啓蒙思想を提唱したような偉人もこの境地に達していると思われます。

 

私は、この世の中で一定の成果を出して成功した人々を見て、本当にこの人たちは幸福なのだろうかと思うことがよくあります。

人間の個人的な欲求は果てしなくあります。特に、物質欲、性欲、金銭欲は尽きることはありません。

それらを追い求めて続けている限り、本当の幸福は得られないと思います。

私は、幸福とは満たされないながらも目標をもって努力しているプロセスの中にあるのだと考えています。

自分が歩んできた道を振り返ってみて、目標のために努力してきた自分をいとおしく感じることができれば、それが幸福なんだと思います。

私の目標は生涯をもっても達成できない目標です。私は投資で蓄えた資本を使って、将来の日本を背負って立つ人材を育成し、少子高齢化社会を改革するために一石を投じます。

肉体が滅んでも思想は残ります。私の思想の後を継いでくれる若者を育成して、未来の明るい日本経済を支えてくれる人材が輩出することを切に願ってやみません。

 

 

投資全般

Posted by kotaro